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孤独感に量なんてあるのだろうか・・・。 人はそれぞれ違う種類の孤独感を持っていて、違う器でその孤独感を受け止めている。 お椀型の器に、ぬるま湯の温度の孤独感を8分目に注いでいる人だっているだろうし、薄平たいスープ皿に、冷水程の孤独感を表面張力でかろうじて注いでいる人だって居るだろう。 誰にも、絶対に分からないのだ。 例えば、1の孤独感を3として自分の器に注ぐ人も居れば、0・5として注ぐ人だって居る。という風に・・・。 私は、誰かと一緒にいて孤独感を感じるよりも、一人で孤独感を感じる方がましだと思っている。 孤独感で、人は死ねるのだ。寂しいという思いで死ねる。だからといって、誰かの孤独感を私が空っぽにする事は出来ない。誰にも出来ない。 本人しか出来ないと思っている。誰かの鍋の中に入った熱湯の孤独感に、私が火をかけて蒸発させる事は出来るかもしれない。でも、部屋の中は行き場を失った蒸気達が立ち込める。水の量は変わらない。 鍋の中に孤独感の水が入っているとしたら、その水を本人が飲む事しか出来ない。飲んで、吸収、消化して排泄する。そのとき、その水が「飲める」という事を、知っているか知らないか・・・。コップの存在を知っているのか、美味しく飲むには、何をいれたらいいのか。 私は、「楽しさ」「気楽さ」「恐さ」という味付けで、その水を飲む。そして、私には「コップ」があるんだという事を、周りの人達に教えてもらっている。 それで充分。私は今おいしくその水を飲める。
by kingyonoosasimi
| 2005-12-12 22:57
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